幼児専門の給食委託会社「富喜屋(ふきや)」は、全国の保育園・幼稚園・こども園に給食を提供しています。

企業理念

私たちは、心のこもった安心・安全な食の提供を通して、
社会の健康と幸せづくりに貢献します

生活スタイルの変化や物流の進化で、私たちはいつでもどこでも食べ物を手に入れることができるようになりました。

しかし、私たちは「身体は食べた物でつくられている」ということをもっと大切にしたいと考えています。

ただお腹を満たすだけの食べ物ではなく、健やかな心と身体を育む食事こそが大切であると考えています。

特にこどもたちにとっての食事は、心と身体の成長を支える土台であるだけでなく、生涯にわたって健康で質の高い生活を送る基本となる「健全な食習慣」をはぐくむ大切なものです。

企業理念では、ただ「安心・安全」なだけではなく、「心のこもった食事」をご提供することを謳っています。

素材の味を大切にし、旬を感じ、つくり手の想いがつまった、「心のこもった食事」にこそ、私たちの命をつなぎ、身体と心を育む力があると信じているからです。

これからも、この企業理念を道しるべに、「食」を通じて健康と幸せにあふれる社会づくりに微力ながら貢献して参ります。

カンパニーストーリー

富喜屋(ふきや)がなぜ保育園給食・幼稚園給食などの「こどもの給食」に特化するようになったのか、これまでの歩みをお伝えしようと思います。弊社の想いを理解いただく一助となれば幸いです。

また、弊社の創業からの営みは、新しいことへのチャレンジの連続でした。そして、新しいことにチャレンジする原動力は常に「こどもたちのために」という熱い想いでした。

はじまりは「学生食堂」でした

代表の宮崎は、1976年に大阪府枚方市に生まれました。当時、両親は大学のすぐ傍で学生食堂「レストラン富喜屋(ふきや)」を営んでいました。

ものごころついたときには、毎日多くの学生が昼・夜問わず大盛ごはんをほおばっているのを、お店の隅で遊びながら見ていた記憶があります。

当時の「レストランふきや」は、親元を離れて暮らす若い学生さんに、栄養満点のごはんをお腹いっぱい食べてもらいたいという両親の想いもあってか、いつも満席でした。

両親は「栄養のあるものをしっかり食べる」ことをとても大切に考えていましたので、我が家では母がいつでも、手づくりでボリュームのあるおかず、旬の野菜を使ったおひたしや和え物、煮物、野菜たっぷりの味噌汁・ご飯という栄養満点の食事を作ってくれました。

食堂を営みながらの家事にもかからず、我が家の食卓はいつも笑顔と団らんにあふれ、本当に恵まれた環境で育てられたと両親には感謝の念が堪えません。

レストランから「お弁当給食」の宅配へ

その後、店舗で出している定食をお弁当箱に詰めて配達してほしいという近隣工場のお客様からのご要望にお応えするかたちで、「レストラン富喜屋」は、「お弁当給食の富喜屋」へと発展していきます。

そして会社向けの給食事業がちょうど軌道に乗るころ、近隣の大学が移転することが決まったこともあり、学生レストランを閉じて企業や工場向け給食の専業となります。

しばらくは企業や工場向けの給食を届ける給食会社として事業を拡大してきたのですが、ある日、私の父が幼稚園の子供向けの給食をつくろうと言い出します。
当時の心境を父に聞きますと、未来のある若い学生さんたちに食事を提供することにやりがいを感じていたこともあり、いつかまた学生食堂をしたいという想いをもっていたところ、幼稚園で給食が広がっている事を聞き、ぜひ、小さな子供たちにお弁当給食を届けたいと思ったようでした。

しかし当時社長だった父の提案は「子供の給食なんて作ったことがないから不安」「幼稚園給食や学校給食の衛生基準に合わせるには設備が足りない」など社内から大反対にあいます。

そこで父は、これから未来のあるこどもの食事を提供することの意義を説明して周囲を説得し、当時はまだ町の弁当屋さんだった調理場を、幼稚園給食をつくる事ができる給食施設に改築して機器の導入もすすめ、1999年、枚方市にあるひとつの幼稚園にはじめて給食を提供するようになりました。

私がサラリーマンを経て富喜屋に入社したのは、はじめての幼稚園給食提供から2年後の2001年のことです。まだ、枚方市の数ヶ園の幼稚園に給食を提供している、富喜屋にとっては「幼稚園給食の黎明期」にあたります。

体調の悪化と長男の誕生

入社してからの私の仕事は、工場や幼稚園など様々なお客様への営業活動でした。

意気揚々と新しい仕事のスタートをきったのですが、入社してしばらくして、私は持病であるアトピー性皮膚炎が悪化し、全身の皮膚がただれて、顔からは眉毛が抜け落ち、心身ともにお客様の前に出ることができない状況となってしまいます。

前の職場では、仕事に夢中で食べるものにも無頓着で、毎晩のように職場の付き合いで飲み歩くような生活をしていたのが祟ったのだと思います。入社早々に半年もお客様の前に出られない状況となってしまい、会社で弁当箱の洗浄や皿洗い、工場の清掃の仕事をしていました。

その際に心がけたのが「ちゃんと食べてちゃんと寝る」という当たり前のことでした。しっかりと睡眠をとるのと同時に、手づくりのバランスの良い食事を朝・昼・晩の3食きっちり食べる生活を心掛け、半年ほどで症状は改善し営業活動を再開できるようになりました。

あらためて、栄養のとれた手づくりの食事と規則正しい生活が、健康に生きていくためにどれほど大切か身をもって感じました。
実はこの大変な時期に、我が家では長男を授かります。生まれたばかりの小さなわが子を恐る恐る抱いた時の愛おしさは、初めて感じる感覚だったのを鮮明に覚えています。この子に健康に育ってほしいと強く思いました。この出来事で、私は食事について、特にこどもの給食の内容についてより強い関心を持つようになりました。

そして、営業で訪れる先々の幼稚園で他社の給食を見て、その内容に愕然することになります。

それまで、何度も他社の幼稚園給食を見ていたにもかかわらず、この経験を経た私は、同じ内容の給食を見て、そこに強い違和感を感じたのです。

冷凍食品のコロッケやチキンナゲット、明らかに業務用で袋から出しただけのポテトサラダ、缶詰フルーツ… これから大きく成長する幼稚園のこどもたちの食事として、あまりに酷く、これではいけないと強く思いました。

広く普及している業務用惣菜が詰めあわされただけの給食に強い違和感を抱いた私は、しっかりと手づくりした、本当にこどもたちのことを考えた給食を世の中に広めなければならないと考えたのです。

そして、私の営業活動も、工場のお弁当給食の営業をやめて、幼稚園のお弁当給食の仕事だけに集中するようになりました。

気がついたら、今の富喜屋があります

とはいえ当初の弊社の幼稚園給食にも、まだまだ改善点がありました。

当時の幼稚園給食では、手づくりを基本としながらも一部冷凍食品を使用することもあり、また、こども受けをねらった缶詰フルーツやふりかけご飯も入っていました。

これらを無くすためには3つの壁があると考えました。「手づくり給食をつくる仕組みづくり」、「幼稚園の先生方の理解」、そして「価格」です。

「手づくり給食をつくる仕組みづくり」は、社内のスタッフが助けてくれました。
これまでは揚げるだけですんだコロッケは、じゃがいもを茹でて、皮をむいて、つぶして… 玉ねぎを切って、ひき肉といっしょに炒め、成型してパン粉をつけてと… コロッケひとつとっても、冷凍食品にくらべて手づくりコロッケは比べ物にならない手間と時間がかかるのです。

しかし、「こどもたちのために」というスタッフの熱い想いに支えられて、コロッケもトンカツもミートボールも手づくり化をすることができました。

また、当時の幼稚園の風潮として、「こどもが食べやすい給食」「見た目のかわいい給食」が支持されていました。たとえば、「星形コロッケ」などの冷凍食品、みかんの缶詰や黄桃の缶詰、ふりかけご飯はこども受けが良く、これを無くすには先生方の理解が必要と考えたのです。

また、価格面でも、冷凍加工食品を無くして、コロッケもトンカツもチキンナゲットもすべて手づくりにかえると、大変な人手と手間・時間がかかるため、どうしても価格が高くなってしまいます。いくら手づくりでこどものことを考えた給食でも、こども受けが良く、見た目が可愛いらしく、しかも安価な給食には勝てないと思ったのです。

そこで、私はまず「こどもの給食には手づくりが最適であること」「すべて手づくりするためには、どうしても価格が高くなってしまうこと」を他社の給食を採用している幼稚園に説明して回りました。1日で数十件の幼稚園のインターホンを押し、手づくりのチラシを投函して回った日もあります。すると、驚いたことに、私の話に共感してくださる園長先生が1人、2人と現れ、その後は、弊社の給食を採用してくださった園長先生のご紹介の輪が広がり、弊社の給食を採用してくださる園がすこしづつ増えてきました。

そして今も創意工夫の日々です

そして現在では、既存の幼稚園の園長先生からのご紹介だけでなく、弊社のホームページから多くのお問合せを頂くようになり、160園 18,000人のこどもたちに給食を提供するまでになりました。

多くの園にご利用頂けるようになった富喜屋の手づくり給食ですが、今も試行錯誤は続いています。

例えば献立です。弊社の給食は「野菜たっぷりの和食が基本」なのですが、特に2才~3才は好き嫌いが出てくる時期でもありますので、どうしても食べにくいこどもたちも出てきます。どれだけこどものことを考えてつくった給食であっても、食べてくれないことには何の意味もありません。

そのため、常に寄せられる先生方のご意見を聞きながら、栄養士と調理師が試行錯誤しながら献立の作成を行い、味付けや調理法の工夫をしています。

同時に、保護者の皆さんにも、ご家庭で様々な食材・料理をこどもたちが経験できるよう、少しでも野菜たっぷりの給食が食べられるようになるよう、給食だよりなどでご協力を呼び掛けています。

「こどもたちに健やかに成長してほしい。豊かな人生をおくって欲しい」というこどもへの想いは、保護者のみなさん、園の職員のみなさん、そして私たち富喜屋のスタッフみんな同じです。これからも、日本中の一人でも多くのこどもたちに、より良い給食が提供できるよう努力して参ります。

宮崎裕生